辛かった双子妊娠生活。切迫流産・切迫早産体験記。

小さな頃から、何故かずっと双子がほしかったので病院で双子だと知った時は、とても喜んだことを覚えています。

でも、妊娠が分かったのと同時に出血をしていたので医師に「絶対安静にしてください」と言われました。

その日から、私の長くて辛い妊娠生活が始まりました。


目次

切迫流産・切迫早産

切迫流産とは妊娠22週未満で、出血や痛みがある場合の呼び名で

切迫早産とは妊娠22週0日〜妊娠36周6日までの出産を早産と呼び、早産になりかかっている(一歩手前の)状態を切迫早産というそうです。

私は妊娠してすぐに切迫流産と言われ、双子だったため医師の判断は「子宮口を縛る、子宮頸管縫縮術をする」ということでした。

想像しただけで逃げ出したくなるような手術だったため、思い切って違う病院を受診しました。

その病院には、双子の難しい出産を数多くされている専門医がいらっしゃったので、そのままその病院に入院することになりました。

その先生の方針は子宮頸管縫縮術ではなく、入院して絶対安静!

歩くこともダメなのでトイレに行くにも車椅子でした。

また、子宮収縮抑制剤の点滴もしていたため寝返りも自由ではなく、どこへ行くにも点滴と一緒でした。笑

絶対安静の10ヶ月

このブログを書くときに調べて知ったのですが、子宮頸管縫縮術によって妊婦さんは長期間の安静臥床を強いられる苦痛から解放される上、切迫早産の状態でも自宅で過ごせる期間が持てるそうです。笑

でも、あの時のわたしの直感は ”子宮頸管縫縮術はしたくない” でした。

絶対安静の毎日は、退屈でしたが苦痛ばかりではありませんでした。

食事は毎回ベッドまで運んでもらえるし、病院内には図書館があったので本をゆっくり読むことができました。

私は、それまで美容師として一生懸命働いていて、仕事一筋。

趣味もなく、友達もいなかったので、旅行もしたことがありません。

その代わり、仕事はやりがいがあり楽しかったです。今思えば、私は根っからの仕事人間です。

体調も良くお腹の張りもなかったので、2.3日退院してみることに🎵

久しぶりに車に乗り風を感じたり、歩いたり…とても新鮮でした。

でも、道で元気な妊婦さんを見ると、とても羨ましかったです。

特に可愛い妊婦服を着ていたりすると…

でも一時退院したのも束の間、夜中にお腹が急にキューっと締めつけられる痛みに襲われたため、病院に戻りそのまま入院。

その後から子宮収縮抑制剤の点滴が始まりました。

「もしかしたら…ダメかもしれない。今日が山です」

随分お腹も大きくなり、寝返りも思いどりには出来ませんでした。
横になった状態で、上向きになるとお腹が大きいし重いので苦しいんです。笑
なので寝返りを打ちたい時は、一度ベッドに座ってお腹の方向を変えてから、横になっていました。

そんなお腹がどんどん大きくなっていった頃、突然出血しました。

先生に診てもらうと「もしかしたら…ダメかもしれない。今日が山です。」という、ドラマでしか聞いたことがないセリフを言われました。

もう悲しくて、悲しくて…どれくらい泣いたのかも覚えていませんが…

そんな私に先生は、「もしダメだったとしても、お母さんのせいではないですよ!子どもさんの生命力が強ければ必ず持ち直します」と言ってくださいました。

でも、そんな風には思えず、何でも良いから子どもたちを助けてほしい。藁にもすがる思いでした。

その状態を母に知らせると、すぐ、いつもお世話になっているお寺の住職さんのところへ行きお経をあげてもらったそうです。

その時に、小さな1cmくらいのお札をいただき「これを毎日娘さんに飲ませなさい」と、よく見ると観音様が描かれているお札でした。

私は、神様・仏様に「どうかこの子達が無事に生まれて来ますように」と祈りを込めて、毎晩泣きながら、そのお札を飲み続けました。

その甲斐あってか、子どもたちの状態も少しずつ落ち着いていきました。

出産

出産は、(どんな経緯でそうなったのか覚えていませんが)帝王切開が決まっていました。

手術予定日は、2001年4月。

でしたが、私の肺に水が溜まっている(妊娠中毒症)ことが分かり3月29日に緊急手術をすることになりました。

先に取り上げられた兄のHくん。数分後に取り上げられた妹のMちゃん。

Hくんは3000kgを超え、Mちゃんは2700kg、二人とも保育器に入ることなく元気に生まれました。

私の方は、半年以上動いてはいけない生活だったのでベッドから起き上がるにも息が「ゼーゼー」言ってしまい、隣のベッドの方が毎回、「看護師さんを呼びましょうか?」と心配してくれていました。

体力の方は少しずつ回復して行きました。

マタニティブルー



出産後の心境は、不安でいっぱいでした。

どんな不安かというと…
何かあったら(地震など)二人をどうやって守ろうか?どうやって避難しようか?という事でした😅

二人を育てていけるかという不安ではなく、地震が起きたらどうしよう😨という不安でした。
今思うと、どうしてそんな不安が出てきたのか自分でも不思議なのですが…
あの時の私は、夜も眠れないくらい不安を抱えていました。
もしかしたら、何か自分にあり子どもたちが大きくなるまで生きていられないかもしれない😭
だったら、小学校卒業・中学校卒業…成人式・結婚…
子どもたちの節目で読めるように手紙を書こう!と考えたりしていました。

今思えば、マタニティブルーだったんだと思います。
*マタニティブルーとは出産によって女性特有のエストロゲン(卵胞ホルモン)が減少することにより、不安な気持ちが芽生えたり、理由もなくイライラしたりと情緒不安定になることをいいます。

病院ではそんな状態でしたが、2週間後には何とか体力も戻り子ども達と一緒に退院できました。

退院してからは二人のお世話が忙しかったおかげか?、不安なことを考える時間は減っていきました。

いよいよ二人の育児の始まりです🎵

今日は私の妊娠から出産までの経験を読んでいただき、ありがとうございました。

辛い妊娠生活から始まりましたが、子どもたちから学んだことは数多くあります。

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