6年前のちょうどこの時期に行った、マチュピチュ!
子どもをおいて旅行に行ってはいけない。
って思っていた頃が懐かしいです。
禁止事項
最近、(久しぶりに)「私の中の禁止事項」を書き出してみました。
・困っている人を助けないといけない
・大切な人を守らないといけない
・見捨ててはいけない
・1人で幸せになってはいけない
書いてみて、胸がギュッとなりました。
どれも “ 愛 ” から出ている言葉なのに、そこには「〜しなければいけない」がついている。
氣づかないうちに、愛を義務にしていたのかもしれません。
思い返すと、私はいつも「誰かのため」に生きてきました。
それは、幼少期の母への思いからですが、まだまだ自分を縛っていたようです。
罪悪感
離婚したときは、子どもたちへの罪悪感でいっぱいでした。
“ 私が離婚を選ぶことは、あの子たちを悲しませることかもしれない ”
そんな思いが、心の奥にずっと残っていました。
それでも、自分の心の声に従ってみたかった。
また、拠点を愛知から沖縄へ移したときも、
職場の人たちに対する罪悪感が出てきました。
“ 私がいなくなったら、みんなに迷惑をかけるんじゃないか ”
“ 裏切るように思われるかもしれない ”
そんな不安と葛藤の中で、
私はまた「誰かを守らなきゃ」「見捨ててはいけない」という思いに縛られていたのを、今でも覚えています。
でもね、今になって分かるんです。
罪悪感のその奥に…
その罪悪感の奥には、深い愛があったということに。
「 みんなに幸せでいてほしい 」
「 大切な人を傷つけたくない 」
「 誰も悲しませたくない 」
そんな優しさが、ずっと私を動かしていたんだ。
そして今、また同じようにあの“罪悪感”が顔を出しました。
でも今度は違う。
「信じて手放す」
ことが、いちばん深い愛のかたちだということを。
助けなくても、相手の力を信じる。
守らなくても、相手の魂を信じる。
離れても、愛が続いていると信じる。
そして、自分が幸せでいることで、周りにも光が届くと信じる。
愛の進化系
「信じて手放す」――それは、愛の進化形。
守る愛から、信じる愛へ。
犠牲の愛から、自由な愛へ。
罪悪感の向こう側に、本当の自由がある。
もし今、あなたが誰かのことを想いながら
罪悪感で立ち止まっているとしたら――
どうか思い出してほしい。
手放すことは、冷たいことじゃない。
信じて見守ることこそ、いちばん深い愛。
もしかしたらあなたも何かを信じて
手放すタイミングかもしれませんね✨✨






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